中京競馬場へのアクセスや入場、指定席の取り方は?重賞スケジュールや馬場傾向、距離&コース毎のデータ攻略と予想方法
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中京競馬場って?
中京競馬場場は、愛知県豊明市にある競馬場で、日本中央競馬会及び愛知県競馬連合により施行されており、名古屋競馬株式会社によって管理されています。
2013年以降、基本的に中央競馬では、毎年1・3・7・12月の4回催・26日間にわたってレースを開催。
夏開催では西の主開催の中心となっており、第3場で唯一3月に高松宮記念、12月にチャンピオンズカップの2つのG1競争を開催しています。
馬場自体は原則年中無休で営業をしており、コース内部は遊園地として平日も解放しています。
今回はそんな中京競馬場についてご紹介していこうと思います。
中京競馬場の歴史
~中京競馬場が開設されるまで~
名古屋地区に競馬場を開設する動きは明治時代からあり、第6代名古屋市長の加藤重三郎が競馬倶楽部の創設を考案しましたが、実現には至りませんでした。
このころは全国的に競馬倶楽部が乱立するようになってきたため、1908年に競馬場倶楽部の数を11に整理し、1923年の競馬法施行で競馬場の数を11にすることが決定しました。
これにより当時公認競馬場がなかった名古屋地区には事実上競馬場を開設することが不可能になりました。
そこで、既存の競馬俱楽部を名古屋地区に移転することを画策し、経営難に陥った新潟競馬倶楽部や内紛が起こっていた中山競馬倶楽部を移転する計画が持ち上がったが実現には至りませんでした。
第2次世界大戦後、名古屋地区にkうぃば場を誘致する動きが起こるようになります。
1949年5月9日の第5回国会で中京に競馬場を設置することが盛り込まれた競馬法の一部改正案が上程されました。
中京という名称を用いたのは中部日本の中心の意味を込めていました。
理由としては、勝馬投票券の売り上げを増やすことで政府収入の増加を図ると共に、その当時11あった競馬場のうち、戦時中の設備荒廃等の理由で競馬を開催できる競馬場が札幌・函館・中山・東京・京都・小倉の6ヶ所にとどまっており、中京に競馬場を設置することで負担を軽減し、競馬の健全なる発達に寄与するためでした。
この国会では継続審議となりましたが、衆議院農林委員会の委員が中京競馬場の建設候補地を視察しました。
農林委員会が定めた候補地は第1に一宮市、第2に春日井市、第3に大府町、守山町、鳴海町としましたが、各候補地の誘致争いは激しくなりました。
競馬法一部改正案の国会審議は第7回国会・第8回国会において衆議院では可決したものの、参議院では第7回国会では廃案、第8回国会では後継審議となりました。
結局、国会で成立したのは1950年12月8日の第9回国会の参議院本会議で可決したことによります。
こうして、中京競馬場の設置は決まったものの、名古屋の財界は中京競馬場の誘致に当初は消極的でありました。
そこで、トヨタ自動車工業の初代社長を務めた、豊田利三郎が中心となって財界から競馬場誘致の機運を高めようとしました。
しかし、利三郎は競馬を全然知らなかったので、競馬に精通していた愛知トヨタ自動車社長の山口昇に協力を依頼しました。
利三郎は競馬関係者や名古屋財界の首脳を招いた懇談会を開き、この場で財界からの協力を得ることができました。
そして、懸案だった競馬場の予定地も農林省の現地調査の結果、1951年1月30日に当時の農林大臣・広川弘禅が鳴海地区に競馬場を設置することを決めました。
利三郎は1951年2月に名古屋競馬株式会社創立発起人会を作り、発起人総代になる予定でしたが、道半ばで死去し、元愛知県知事の青柳秀夫が発起人総代となりました。
1952年8月5日に名古屋競馬株式会社が設立され、青柳が初代社長となりました。
1952年10月13日、中京競馬場の建設工事が着工され、当初は1953年5月の工事完了を目指しましたが、秋の長雨や電力事情の悪化があって遅れ気味でした。
1953年7月26日に竣工し、当初の競馬場は1周1600mの砂馬場で、収容人員が6000人でシェル型の大屋根が特徴のスタンドでした。
8月1日には農林省競馬部と名古屋競馬株式会社の間に中京競馬場賃貸借契約が結ばれました。
~開設された後~
1953年8月22日に第1回中京国際競馬が開催されました。
翌日には中京開設記念競走が行われ、この年の春の天皇賞を制したレダが優勝しました。
この年は8月22日から9月6日までの第1回開催、9月12日から27日までの第2回開催がそれぞれ6日間ずつ行われました。
その翌年に日本競馬中央競馬会が発足され、日本中央競馬会中京競馬場となりました。
1969年に大規模改築工事が着工され、芝馬場の新設やスタンドの改築など、創設以来の諸施設のほとんどを造り替える大工事になり、1974年にはダートコースが新設されました。
1987年にはターフビジョンが設置され、運用が開始されました。
1990年~91年の間は、阪神競馬場の改築工事に伴い、阪神競馬が中京競馬として開催されたため、平年の1回中京競馬が2回小倉競馬として開催されたため、中日新聞杯・中京記念が小倉競馬場での開催となりました。
1993年1月12日より、スタンドの増築及び馬上改修工事が着工されたことに伴い、1回中京競馬の開催を2回小倉競馬場、2回中京競馬を4回京都競馬として開催しました。
この年の中京競馬は例年の第3回開催にあたる12月に1回8日のみ開催されました。
そして、同年11月10日に馬上改修工事が竣工しました。
1~2コーナー、3~4コーナーのカーブをスパイラルカーブ化、また地下馬道が新設されました。
1994年に京都競馬場の改築工事に伴い、京都競馬が中京競馬として開催されたため、1990~91年と同様、平年の1回中京競馬が2回小倉競馬として開催されたため、中日新聞杯・中京記念が小倉競馬場での開催となりました。
また、同年の11月10日にはスタンドの増築・グレードアップ工事が竣工し、新スタンドに「ツインハット」の愛称がつけられました。
1995年に起きた兵庫県南部地震で阪神競馬場が大きな被害を受けたため3回阪神競馬の開催を2回中京競馬として開催されました。
1998~99年には小倉競馬場の改築工事のため1回小倉競馬が中京競馬として開催されました。
2002年にスタンド東側に名古屋鉄道の元特級車両を保存・展示したアミューズメントスポットである「パノラマステーション」が竣工しました。
2006年、阪神競馬場改造工事のため、4回阪神競馬の開催を3回中京競馬として開催しました。
2010年4月にスタンド改修・馬場改造工事着工、2012年にスタンド及び馬場改造工事が竣工しました。
これにより距離設定が大幅に変更されています。
2014年には、これまでに東京競馬場→阪神競馬場で開催されてきタジャパンカップダートがチャンピオンズカップに名称変更の上、中京競馬場での開催となり、高松宮記念に次いで2つ目のG1レースとなりました。
中京競馬場のコースの特徴
敷地を拡張して大規模なコース改修工事により芝コースの1周距離は1705.9m、直線の長さは412.5mにそれぞれ延伸し、ローカルとは思えないような競馬場に生まれ変わりました。
実際に京都競馬場が改修工事等で使えない際に主要な代替コースとして利用されています。
芝コースの高低差は3.5m、ダートコースの高低差は3.4mと高低差は大きく、直線コースには高低差約2mの坂があります。
コーナーは3~4コーナーがスパイラルカーブになっており、短い距離のレースですとこのコーナー辺りが勝負所になることが多いコースです。
ダートコースは1周距離が1530mで直線の長さ410.7mとこちらもJRAのコースでは広い方のコースです。
中京競馬場のレース傾向
中京競馬場 芝1200m
向こう流しより上り坂のある直線の方が長いためか、1400のイメージに近いです。
ディープインパクト産駒:9勝/逃げ、先行型で7割方決着しています。
ディープも勝てるコースで、昨年の高松宮記念2着がそれに該当する一方、勝ったのは逃げ馬でした。
他のコースで1400Mの傾向では、こういう形が一般的です。
中京競馬場 芝1400m
きれいなワンターンで、関西圏の1800戦と似たような傾向です。
逃げ馬の勝率は1200mが25.6%、1400mが12.2%となっています。
血統はダイワメジャーもロードカナロアも、1400では普通の好走率ながら、圧倒的に、他コースの同距離と比べて、先行型が不利なので、スローでない限りは逃げ切れません。
特注種牡馬はオルフェーヴルです。
中京競馬場 芝1600m
形態が東京の1800とそっくりだから、展開はあってないようなもの
脚質分類でも、各勝率が約5~12%の範囲で理論上は横一線とできますが、
この数字は例年梅雨時の開催で差しが決まる影響も出ているので、真ん中より前くらいが合うとした方がいいでしょう。
中京競馬場 芝2000m
中山2200や阪神2400と同等レベルのスタミナが要求されます。
普通2000Mでは上位に入らないハーツクライ、ステイゴールドが、ディープ続く種牡馬別成績となっているため、脚質以前に、スタミナ勝負のイメージで見る必要があります。
中京競馬場 芝2200m
この距離でも外枠、差し優勢で分類は長距離戦です。
どういうわけだか、長距離戦のようなレースになるため、友道康夫・角居勝彦・須貝尚介・音無秀孝といった、クラシックの長距離カテゴリーで縁のあった名伯楽が勝ち星で並んでいます。
特殊な条件なのは間違いのないところです。
中京競馬場 ダート1200m
他コースの同距離と比べ、サウスヴィグラスの複勝回収率が平凡です。
-サウスヴィグラス 72.8% <東京1300:104.1%>-
過剰人気の馬が多く出る新潟の1200M戦に次いで、各場のダート最短距離戦で妙味がないのが、地方競馬御用達種牡馬のサウスヴィグラスで、直線も坂も苦にしないのに、先行有利の割には勝ち切れない馬の消え方があっさりの傾向です。
中京競馬場 ダート1400m
芝スタートでもワンターンの作りで、極めてフェアなコースです。
ヘニーヒューズ、松山弘平、逃げ先行有利となると、好走確率の高い枠順不問の実力勝負になりやすいコースと言えます。
時計勝負になる傾向が今の中京の基本なので、人気馬の選別に傾注したいところです。
中京競馬場 ダート1800m・ダート1900m
内枠有利なのではなく、坂が急なので、外から押し上げていくとバテやすいです。
1800では内枠から順に外へ行くほど勝率が下がり、1900では、1コーナーまで距離が取れる影響で、真ん中から外が自在に位置が取れて有利も、8枠がどちらも不利と出ていて、坂の影響は道中のロスの大きさに比例している印象です。
中京競馬場 ダート2500m
今後番組が増えることはないでしょうが、芝の3000m重賞くらいに思っておけばいいでしょう。
中京競馬場で開催されるG1レースを紹介
中央競馬において最も注目度の高いG1レースな中でも主に中京競馬場で開催されるものを紹介していきたいと思います。
高松宮記念
高松宮記念は、日本中央競馬会が中京競馬場で施行している中央競馬の重賞競走(G1)です。
正賞は名古屋市長賞、名古屋競馬株式会社賞、日本馬主協会連合会会長賞です。
このレースは、春の古馬スプリントチャンピオン決定戦であると共に、春のG1競走シリーズの始まりを告げるレースともなっています。
また、スプリングステークス同様に「電撃の6ハロン」と呼称されています。
4歳以上の馬による重賞として1967年に創設された「中京大賞典」が、本競走の前身です。
1970年に高松宮宣仁親王から優勝杯が下賜されたのを機に、1971年より、「高松宮記念」に改称のうえ新設されました。
同年より、中京競馬場に新設された芝コースの2000mで、夏の中京開催を飾る中距離の名物競争として施行していました。
この間、1984年にグレード制が導入された際、GIIに格付けされています。
1996年に中央競馬の短距離競争体系が改善・整備され、本競走は距離を芝1200mに短縮のうえ施行時期も5月に変更し、G1に格上げされました。
これにより、中央競馬のいわゆる「中央場所」以外の競馬場で初めて行われる常設のG1競走として、春の短距離王決定戦に位置付けられています。
その後、1998年には現名称に改称され、2000年には施行時期を3月に変更、競争条件も「5歳以上」に改められました。
2005年に創設された国際スプリントシリーズ戦「グローバル・スプリント・チャレンジ」に2011年から構成レースに一つとして加わり、2013年まで第2戦として行われました。
外国産馬は1989年から、地方競馬所属馬は1996年から出走可能になり、2001年からは国際競争となって外国産馬も出走可能になりました。
2007年より国際G1に格付けされています。
チャンピオンズカップ
日本中央競馬会が中京競馬場で施行する中央競馬の重賞競走(G1)です。
創設から2013年までは「ジャパンカップダート」の名称で、主に東京競馬場や阪神競馬場で施行されています。
2008年以降は原則12月の第1日曜日に開催されています。
正賞は名古屋競馬株式会社賞、日本馬主協会連合会会長賞、地方競馬全国協会理事長賞、全国後衛競馬主催者協議会会長賞、日本地方競馬馬主振興協会会長賞です。
日本では1970年代後半より、「世界に通用する強い馬作り」が提唱され、1981年に芝2400mの国際招待競走「ジャパンカップ」が創設されました。
その後、1995年より中央競馬と地方競馬の交流が飛躍的に拡大されるようになると、中央と地方の所属を超えたダートの重賞競走が注目されるようになり、ダートグレード競走で活躍した日本馬はアラブ首長国連邦やアメリカ合衆国のダート競走にも挑戦するようになりました。
このような状況の中、日本のダート競走においても「ジャパンカップと並ぶダートの国際競争を開催しよう」という気運が高まり、2000年に前身となる日本初のダート国際招待競走「ジャパンカップダート」が容共競馬場のダート2100mで創設されました。
ジャパンカップダートは2007年までジャパンカップの前日に施行されていましたが、距離やダートの本場であるアメリカで行われるブリーダーズカップに出走してから、本競走に出走となると日程がかなり厳しくなってしまう問題などがあり、2008年から施行時期を繰り下げ、施行場も阪神競馬場のダート1800mに変更されました。
2014年からは日本調教馬を中心とした国内ダート最高峰の競争としての位置付けを明確にするため国際招待制も廃止され、うまや関係者の遠征にかかる諸費用をJRAが負担しない国際競争としたうえで、左回りである中京競馬場・ダート1800mを舞台に定量で行われる「チャンピオンズカップ」へリニューアルされました。
なお、回次は2014年が第15回とされ、ジャパンカップダートから引き継いで通算されます。
外国馬の出走枠は8頭までで、2008年からジャパン・オータムインターナショナルにも指定され、その最終週を飾るレースとなっており、また、指定外国競走の優勝馬や過去1年間の国内ダートG1・JpnI競走優勝馬が上位入着した場合に褒賞金を交付する制度もあります。
ただし、外国馬の出走数は創設時よりも少なく、外国馬の出走が1頭もなかった年もありました。
創設から2013年までに外国馬が優勝したのは2003年の1度のみで、これ以外は全て日本馬が優勝しています。
2020年から、本レースの優勝馬にはサウジアラビアの国際招待競走サウジカップへの優先出走権が与えられることになっています。
また近年では、チャンピオンズカップを制した競走馬がJRA賞最優秀ダートホースを受賞するケースが多くなっています。
中京競馬場の入場方法
中京競馬場へは、以下の方法で入場することができます。
- 「指定席ネット予約」を利用し、事前予約の上入場する
- 「入場券ネット予約」を利用し、事前予約の上入場する
- 中京競馬場に来場した後、「入場券の当日現金発売」や「JRA競馬場共通入場回数券」を利用して入場する
ネット予約に関しては指定の予約サイトにて新規会員登録が必要となっています。
入場券の当日現金発売に関しては、G1レース日を含め、全ての開催日で行っており、事前予約なしで入場することができます。
入場料金に関しては、1人200円で、高松宮記念当日のみ1人500円、15歳未満の方に関しては無料となっています。
なお、指定席の場合は、年齢に関係なく、指定席料金が必要となっています。
中京競馬場のアクセス
名鉄名古屋本線 中京競馬場前駅から西入場門まで徒歩で約10分・東入場門まで徒歩で約45分です。
まとめ
今回の記事では、中山競馬場について触れていきました。
中山競馬場は中央競馬が開催されている日だけでなく、開催日以外にも入場することがでます。
競馬を楽しめるだけでなく、レース後に芸能人のトークイベントが開催されたり、抽選会などもあるので、競馬に興味があまりないという方でも色んな楽しみ方をすることができると思います。
入場料に関しても1人200円と、かなり安く設定されているので、気軽に足を運んでみてはいかがでしょうか。