阪神競馬場へのアクセスや入場、指定席の取り方は?重賞スケジュールや馬場傾向、距離&コース毎のデータ攻略と予想方法

阪神競馬場へのアクセスや入場、指定席の取り方は?重賞スケジュールや馬場傾向、距離&コース毎のデータ攻略と予想方法

阪神競馬場って?

阪神競馬場は兵庫県宝塚市にある中央競馬の競馬場です。

施行・管理を行っているのは日本中央競馬協会で、競馬場の最寄り駅である阪急今津線・仁川駅にちなんで仁川競馬場とも呼ばれています。

嘗てはアメリカ合衆国・イリノイ州のアーリントンパーク競馬場と姉妹提携を結んでおり、同場では阪神カップが開催されていました。

一方阪神競馬場では現在でもアーリントンカップとして開催されています。

今回はそんな阪神競馬場についてご紹介していきたいと思います。

阪神競馬場の歴史

~戦前~

1907年、現在の西宮市の鳴尾浜の両岸に作られ、関西競馬倶楽部によって開催された西浜の関西競馬倶楽部競馬場と、鳴尾速歩競馬会によって開催された東浜の関西速歩競馬場がルーツとなっています。

馬券発売禁止時代、馬政局の命令により、両倶楽部は合併され、阪神競馬倶楽部となり、1910年、関西速歩競馬場は廃止されました。

1916年、阪神電気鉄道が競馬場内側に野球場2面を含む総合運動場を作り、翌年「全国中等学校優勝野球大会」を開催しました。

1937年、日本競馬会阪神競馬場と改称し、1943年に、日本海軍が、競馬場に隣接する川西航空機の製造する軍用機の試験飛行を実施するための飛行場として競馬場の徴用を打診。

日本競馬会が代替用地の斡旋と建築資材の提供を条件に応じたため、同年春までに開催を終了し、軍事施設へと転用されました。

~逆瀬川競馬場~

日本海軍と日本競馬場では、移転候補地を検討の結果、武庫郡良元村の逆瀬川付近が最適とされ、高塚ゴルフ倶楽部や付近の土地所有者との交渉を行い、1944年には競馬場用地の買収を完了、ただちに移転工事を開始しました。

工事資材は海軍ゟ提供されましたが、山地を切り開き、平地に地ならしをする必要のある馬場・スタンド付近の工事は先送りにされ、まず先に厩舎や調教コース、ポンプ場などの関連設備及び職員用住宅の建築を実施することとし、終戦後も工事を続けた結果、1946年4月に完成して使用開始しました。

しかし、1946年6月に、進駐軍が慰安用ゴルフコースに使用するために未着工の用地を接収したため、それ以上の工事継続が不可能となった上に、調教コースもゴルフコースに復元されてしまったため、調教用設備としても使用困難となり、早期の接収解除も望めないことから、競馬会がでは新たな競馬場用地を探す必要が生じました。

~新阪神競馬場の開場~

日本競馬会では、新たな競馬場用地の取得を検討しましたが、独自に競馬場用地を取得する予算もなく苦慮していたところ、戦災に遭った後は放置されていた仁川の旧川西航空機宝塚工場跡地の払い下げを受け、競馬場の建設を検討していた社団法人西日本競馬復興会に競馬会側が協力し、まず同地に仮設の競馬場を建設し、それを競馬会側が賃借することで合意しました。

そうした中で1948年夏より競馬場設置工事を開始しましたが、まずは鉄骨類などの建物の残骸を取り除く工事から開始せざるを得ませんでした。

また、スタンドも土盛の上にコンクリートを打ち、小さな屋根を付けた程度の粗末な設備なものの、1949年暮れに竣工し、12月3日より第1回阪神競馬が開催されました。

この時点では、逆瀬川地区の競馬場施設もそのままで。大半の馬や日値は逆瀬川におり、競馬開催時に阪神競馬場まで移動していました。

また、馬場は水捌けが悪く、雨が降ると水が浮いて泥状態になり騎手から不評だったため、第1回開催の終了後に再整備を余儀なくされました。

しかし、阪神競馬場の人気は振るいませんでした。

馬上の内側には戦災で破壊された鉄骨類がみられ、極めて殺風景だったことから、当時の農林省競馬部では、馬場内の整備の一環としてゴルフ場を設置する事を決め、京阪神競馬会社や京阪神急行電鉄などと協力をして場内整備を行い、1951年2月に全9ホールの「仁川ゴルフクラブ」として開場しました。

1952年になって、米軍より逆瀬川の競馬用地が返還されました。

農林省競馬部では、当初の予定通り競馬場を建設する方針でしたが、まずは調教用馬上の設置と、阪神競馬場と厩舎地区を結ぶ馬道の建設を計画しましたが、宝塚ゴルフ俱楽部側は、国に対してゴルフ場としての払い下げを求めて使用を開始したため、阪神競馬場が国に払下申請の却下を陳情したものの、結局国にがゴルフ倶楽部側に対してゴルフコースの一時利用許可を与えたため、調教用馬上の建設にはなりませんでした。

一方阪神競馬場では、京阪神競馬会社と新たな賃借契約を結び、土地購入やスタンドの増築などを実施し、利用客へのサービス向上を図りました。

1955年には障害競走専用コースを設置し、1959年にはスタンドの増築が完成し、阪神競馬場開場当時の木造スタンドは消滅しましたが、入場人員の増加に伴い、1962年と1966年に再増築されました。

~厩舎の移動から改築まで~

1969年に滋賀県に栗東トレーニングセンターが開場し、11月4日から11月20日にかけて、阪神競馬場所属の人気馬の移動が行われました。不要となった厩舎地区は整地され、駐車場や場内公園などに利用されました。

また、調教用馬場は、一時的に地元乗馬クラブに貸し出されるなどした後で、1974年にダートコースへの改造が行われ、9月7日より正式に使用が開始されました。

混雑していたスタンドも、1979年に再増築されました。

1986年にはターフビジョンが設置されましたが、最も古いスタンドが築35年となり、老朽化も目立ってきたことから、JRAでは阪神競馬場の全面改築を決定。

1990年6月の開催後に工事を開始し、1991年11月20日に完成しました。

スタンドが地上3階・高さ17.2mから地下1階、地上7階・高さ39.9mに大きく変容し、パドックもスタンドと融合し一体となりドーム状の大屋根で覆われるようになりました。

馬上に関しても第3~4コーナーの約130mの直線を連続したカーブに改善するとともに、ゴール前120mに上り坂が設けられました。

~阪神淡路大震災~

1995年1月17日に起こった兵庫県南部地震、「阪神淡路大震災」により壊滅的被害を受けました。

パドックの屋根が大きく傾き、芝・ダートの各コースにひびが入りました。

無事だった厩舎地区を被災者の避難所として使用しました。

このため2月25日から4月16日の1回、2回阪神競馬場は京都競馬場、5月20日から6月11日の3回阪神競馬は中京競馬場、9月9日から10月1日の4回阪神競馬は京都競馬場でそれぞれ代替開催されました。

これに伴いG1級競走の桜花賞および宝塚記念を京都競馬場で開催しました。

大震災から11か月後の12月2日に再開されました。

~震災後から現在~

1996年から2010年までこれまで阪神に割り当てられていた5~6月の開催が中京競馬場と開催節交換となり、6~7月の開催に変更され、2012年から1995年までの開催日程に戻りました。

2006年4月の第2回開催終了後、コース改修工事を実施。

当時の6~7月の例年の3月開催は京都、例年の4回開催は中京へそれぞれ振替となりました。

12月には芝の外回りコースおよび中央競馬では唯一となるダート2000mコースを新設した新コースが完成しました。

2008年9月14日以後、施設閉鎖により馬場内への入場が出来なくなりました。

2009年12月5日の第5回阪神開催からハイビジョン対応2面マルチターフビジョンで映像提供を開始しました。

同年12月26日に行われた第3競走において、1着に6番人気のケイエスケイト、2着に9番人気のテイエムキングダム、3着に17番人気のアスカトップレディという結果になり、3連単の配当金額が11,849,250円となり、この配当金額は阪神競馬史上歴代1位、3連単としてはJRA歴代3位の高配当を記録しました。

また、同競走の3連複の配当金額が1,774,500円となり、3連複の阪神競馬史上1位、JRA歴代6位の高配当を記録しました。

2011年は中京競馬場の改修工事によって開催日程が変更されました。

春の開催は例年同時期に中京競馬場で開催される重賞の一部も阪神で開催されました。

また、夏の開催は例年より2週早く始まり2週早く終わります。

そのため、高松宮記念とファルコンステークス、CBC賞は阪神競馬場で開催されました。

またプロキオンステークスは京都開催となりました。

さらに、東日本大震災の影響により、3月12日・13日の第1回第5日と第6日の開催を中止しました。

この代替競馬として、3月21日に第1回第5日を開催しました。また、3月12日~27日の中山競馬が中止となったため、スプリングステークスおよびフラワーカップは、開催場を中山競馬場から変更し、3月26日に延期されました。

また、4月2日から4月17日の中山競馬も中止となったため、日経賞・中山牝馬ステークスは4月2日に、ダービー卿チャレンジトロフィーは4月3日にニュージーランドトロフィーは4月9日に、マーチステークスは4月10日にそれぞれ日程を変更して開催されました。

2012年からは中京競馬場のリニューアルオープンに伴い、関西衆生の春季から夏季競馬の開催日割が変更されるのに伴い、夏の第3回開催は3回京都開催の延長と2回中京開催とのスケジュールを入れ替えたうえで2011年同様安田記念開催週から始まる6月1ヶ月の開催に正式に変更となりました。

この年は重賞一部重賞競走において施行場が行われ、アンタレスステークスが阪神競馬場の開催となった一方で、これまで阪神競馬場で行われてきたマイラーズカップが京都競馬場で、プロキオンステークスが中京競馬場での開催となりました。

2020年は京都競馬場整備工事に伴い、11月の京都開催は阪神に振替されました。

このため、G1級競走のエリザベス女王杯が1979年以来41年ぶり、マイルチャンピオンシップが1984年のレース創設以来初めて阪神競馬場での開催となりました。

また、良好な芝競馬維持等を考慮して7月の中京開催と9~10月の阪神開催を入れ替えることになりました。

これにより夏季の阪神開催は例年より3週間延長され、7週14日となりました。

同年の第1~4回開催は前日新型コロナウイルス感染拡大防止のため「無観客競馬」として開催されています。

2021年は京都競馬場整備工事に伴い、平年の2回京都開催後半、3回京都開催1~4日、10・11月の京都開催は阪神に振替されました。

これに伴い、天皇賞(春)が1994年以来ぶり、菊花賞が1979年以来42年ぶり、秋華賞が1996年のレース創設以来初めて阪神競馬場で開催されるため、通常京都競馬場で開催されるG1競走は全て阪神開催となりました。

そのため、G1競走については湯治場場史上初となる年間10競走を行いました。

また、良好な芝馬場維持などを考慮して6月の開催は2週4日間に短縮となり、例年の6月開催の前半2週および9月開催は中京競馬場での開催に変更されています。

2021年の天皇賞(春)が阪神競馬場で開催されることに先立って、例年は京都芝2400mで開催されている松籟ステークスが天皇賞(春)と同じ阪神芝3200mで開催されることになりました。

JRAで芝3000m以上の平地条件戦が開催されるのは2000年のドンカスターステークス以来、21年ぶりです。

同年の第1回開催1~8日、第2回10~12日は新型コロナウイルス感染拡大防止のため「無観客競馬」として開催されました。

2022年も京都競馬場整備工事に伴い、2021年と同様の開催日程で行われました。

これに伴って、通常京都競馬場で開催されるG1競走は2021年に引き続き阪神競馬場で開催されました。

2023年も京都競馬場整備工事に伴い、平年の2回京都開催後半は阪神に振替されます。

これに伴い年間5回、46日間の開催となる予定です。

2024年にはスタンドのリフレッシュ工事が予定されています。

阪神競馬場のコースの特徴

阪神競馬場は新潟競馬場に次いで日本で2番目に大きな競馬場で、右回りの競馬場の中ではの本最大級となっています。

芝コースは内回り、外回りのコース形態が有しており、内回りと外回りで直線距離などが異なるので注意が必要です。

芝コースの高低差は内回りが1.9m、外回りが2.4mと高低差自体は少なめとなっています。

内回コースに関しては、フォルスストレートのように3~4コーナーが直線に近い形状となっており、外回りは直線が長くコーナーがゆったりとしている印象です。

ダートコースに関しては、1周距離が1517.6mで平均よりやや大きめのコースとなっており、高低差は1.6mと少なめです。

阪神競馬場のレース傾向

阪神競馬場 芝1200m

最後の坂は、外からくる差し馬の末を鈍らせるためにあります。

坂の効果は外回りでは絶大ですが、内回りコースやダート戦ではあまり強烈に影響せず、裏を返せば、そもそもが京都よりタフさが要求される性質をしていると言えます。

含水率の割合に関わらず、極端に差しに固執するタイプに向かず、ダメ元ならば前に行くべきなコースです。

阪神競馬場 芝1400m

ごちゃつくイメージが先行するのは、短距離戦の割に3コーナーまで距離が取れてフェアな作りであるからです。

波乱ムードがプンプンする主要重賞が沢山組まれるコースだけに怪しいtん回を予期するファンも多いですが、格が上がると早い馬の質が底上げされ、先行激化も少なくないことと関連して、追い込みも一定程度は届くことがあるからでしょうが、基本は前が残ります。

阪神競馬場 芝1600m

とりあえずディープ減少時代を体感する実験場となる為、当面の課題は全てここで実証されていきます。

初年度世代から桜花賞を産駒が4連覇したことからもわかるように、ディープ天国でしたが、連勝が止まってからは、先行馬優勢になりました。

1800mより差しは決まらないようです。

阪神競馬場 芝1800m

枠も脚質もフェアな傾向ながら、ディープ産駒は最後の一滴まで美味しくいただきたいです。

開催重賞の毎日杯は、10年で4勝と、その分かり切った適性の影響で馬券の回収率はいくらか低めとなっています。

ただ、物量作戦で「1着>2着>3着」の黄金比を出している以上、引いたところで得が無いのは確かなのです。

阪神競馬場 芝2000m

一見するとタイトな作りでも、多頭数の競馬は少ないので、人気馬の実力を見極めておきたいです。

長く、クラシック前哨戦として使われたコースで、力があれば何度かこなせるコースです。

外回りの方がフェアなようなので、日本の芝2000mで展開が最も安定しているのがこのコースです。

全く動けないような作りでもなく、ここに合わない中距離型は相当不器用です。

阪神競馬場 芝2200m

G1を除けば、1コーナーまでに前の方につけていた馬たちの競馬になるでしょう。

似たようなレースになるようで、大阪杯の2000Mとは大違いで、溜めすぎるとまず届かない作りです。
かなりの時間をかけて、1コーナーまで走れるため、自在型で不利な要素は一つもなく、はっきりした脚質の方が若干不利になります。

阪神競馬場 芝2400m・芝2600m

どちらの距離でも坂を2回上るので、距離相応の適性が重要になる

とりあえず、距離が長い上にスロー確実、坂もあるのでは平坦巧者の出番はなし。
同時に、ダービー馬は出てくれば確実に勝てるレベルの神戸新聞杯の歴史を踏まえても、人気馬の適性が最も重要という狙いの立て方が成立します。

阪神競馬場 芝3000m

阪神大賞典だけの傾向を見れば、極端な策に出てプラスは何一つないとわかります。

阪神大賞典で特徴的なのは、逃げ切りの例が全く見られないということです。ただ、ディープインパクトもゴールドシップも勝負所ではもう前の方にいたことを思い出せば、追い込みもまず無理でしょう。
スローなら動けばいいし、動けいないのは自信がないからとすれば、強引な策は通用しないのも納得です。

阪神競馬場 ダート1200m

基本的に多頭数の競馬になるから、揉まれない枠の方がわずかに有利です。

坂があるせいか、内枠からの先行押し切りだけが有利なわけではないのが特徴で、後記する1400コースと大まかには差が出ていない若干外有利の傾向ながら、前に行った方が有利なのは短距離戦だからであって…、とした時、脚質よりも坂をのこなせるかの方が重要に思えます。

阪神競馬場 ダート1400m

芝スタートで序盤も極端に速くならないため、確実に外枠有利です。

かつては重賞が2つ行われていたコースで、能力値を素直に反映するフェアな作りではあるものの、芝スタートと3コーナー過ぎからの若干の下り坂で、中だるみはほとんど起きないからこそ、締まったレースになります。

ほぼ平坦の京都と比べると、序盤のラップが安定しているので、芝部分で加速できれば、位置取りで遅れません。

阪神競馬場 ダート1800m

かつてのチャンピオンコースだっただけのこともあり、実力が問われるコースです。

まずは先行力が問われ、坂という関門を二度超え、末脚比べでも勝負になるフェアなコースなので、西日本地区では最も高水準のチャンピオンコースになっています。
先行できるに越したことはないので、外枠でも前につける努力は必要ですが、阪神では芝の2000Mと似たコースの作りになるので、うまく溜めを作りたいところです。

阪神競馬場 ダート2000m

日本で唯一の芝スタートのダート中距離戦も、最内以外で不利はあまりないです。

JRA唯一のダート2000mコースは、世界的にも珍しい、芝スタートのダート根幹距離コースです。

従って、無理に作ったところがあります。

改修後の名物ながら、特に地方の2000mと繋がりがあるわけでもなく、ただの長距離戦になっています。

ダートの中距離にしては逃げ切りが少ないので、差せるパワー型を見つけて狙いたいところです。

阪神競馬場で開催されるG1レースを紹介

中央競馬において最も注目度の高いG1レースな中でも主に阪神競馬場で開催されるものを紹介していきたいと思います。

大阪杯

本競走は、春の中距離路線の最強馬決定戦となっています。

1957年に5歳以上の馬による重賞競走「大阪盃競走」として創設されました。

競走名は1964年に「サンケイ大阪杯」と改称された後、1989年より「産経大阪杯」となりました。

創設時は阪神競馬場の芝1800mで3月に行われていましたが、距離や施行時期は幾度かの変遷を経て、1972年より芝2000mで定着しています。施行時期も1982年より桜花賞の前週に移され、現在に至っています。

外国産馬は1984年から、地方競馬所属馬は1995年からそれぞれ出走可能になり、2003年からは外国馬も出走可能な国際競走となりました。2014年から2016年までは本競走の1着馬に天皇賞(春)の優先出走権が付与されていました。

2017年よりGI昇格し、名称を「大阪杯」とすることが、2016年10月17日に日本中央競馬会から発表されました。優勝馬には当該年のアイリッシュチャンピオンステークスへの優先出走権が与えられます。また同年より天皇賞(春)、宝塚記念とともに同一年に行われる3競走を全て優勝した馬に褒賞金が贈られることになりました。

桜花賞

中央競馬の牝馬三冠競走の第一関門となっています。

また、5着までの馬には優駿牝馬(オークス)の優先出走権が与えられます。

1939年に、イギリスの「1000ギニー」を範として、最もスピードのある優秀な牝馬の選定、および優秀な繁殖牝馬を発掘するためのレースとして4歳牝馬限定の競走である「中山四歳牝馬特別」を創設しました。

東京優駿競争・阪神優駿牝馬(優駿牝馬)・横浜農林省賞典四歳呼馬(皐月賞)・京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)と共にクラシック競争の一つとされました。

宝塚記念

有馬記念と同様に、ファン投票で出走馬を決め、こちらは上半期の締めくくりを飾る競走として関西地区の競馬を華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され、1960年に創設されました。

「上半期の実力ナンバー1決定戦」として位置づけられています

2011年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には当該年のブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与されます。また2019年から当競走の優勝馬には当該年のコックスプレートへの優先出走権が付与されることになりました。

以前のファンファーレは他のGI競走(関西地区)と同様のものだったが、1999年より一般公募で選ばれた専用の曲に変更されました。

阪神ジュベナイルフィリーズ

1949年に、関西所属の3歳馬チャンピオン決定戦として「阪神3歳ステークス」の名称で創設され、施行距離は当初芝1200mだったが、1962年より芝1600mに変更されました。

2006年より同年新設された外回りコースに変更して、現在に至ります

1991年より牡馬・牝馬のチャンピオン決定戦を明確にすることを目的として、本競走は牝馬限定戦に変更されました。

あわせて競走名も「阪神3歳牝馬ステークス」に変更され、3歳牝馬チャンピオン決定戦として位置づけられた後、2001年より馬齢表記が国際基準に改められたのに伴い、現名称となりました。

外国産馬は1971年から、地方競馬所属馬は1995年から出走可能になったほか、外国馬も2010年から出走可能になっています。

本競走の優勝馬が翌年の中央競馬で行われる3歳クラシックでも活躍する例がみられるなど、中央競馬の3歳クラシックに直結する競走として重要とされています

朝日杯フューチュリティステークス

欧米では1786年のニューマーケット競馬場(イギリス)を皮切りに2歳馬の競走が行われていましたが、日本では1946年秋の東京競馬場で初めて3歳馬による競走が行われました。その後も各地の競馬場で3歳馬の競走が行われるようになり、1949年には関東地区の3歳馬チャンピオン決定戦として「朝日杯3歳ステークス」が中山競馬場で創設されました。以来、2013年まで長らく中山競馬場で行われてきましたが、2014年より施行場を阪神競馬場に変更しました。競走名は2001年より馬齢表記を国際基準へ改めたことに伴い、現名称に変更されました。

創設当初の施行距離は芝1100mで、1959年より芝1200mへの変更を経て、1962年以降は芝1600mで定着しています。

競走条件は1991年に牡馬・牝馬のチャンピオン決定戦を明確にすることを目的として「牡馬・セン馬限定」となりましたが、2004年より「牡馬・牝馬限定」に変更され、以降はセン馬が出走できなくなりました。外国産馬は1971年から、地方競馬所属馬は1995年から出走可能になったほか、2010年からは国際競走となって外国馬も出走可能になりました。

翌年の3歳クラシックレースにも直結する重要なレースとして位置づけられているほか、過去の優勝馬からは古馬になっても大レースを優勝する馬が出るなど、さまざまなカテゴリーで活躍馬を送り出しています。

阪神競馬場の入場方法

阪神競馬場へは、以下の方法で入場することができます。

  • 「指定席ネット予約」を利用し、事前予約の上入場する
  • 「入場券ネット予約」を利用し、事前予約の上入場する
  • 阪神競馬場に来場した後、「入場券の当日現金発売」や「JRA競馬場共通入場回数券」を利用して入場する

ネット予約に関しては指定の予約サイトにて新規会員登録が必要となっています。

入場券の当日現金発売に関しては、G1レース日を含め、全ての開催日で行っており、事前予約なしで入場することができます。

入場料金に関しては、1人200円で、大阪杯、桜花賞当日のみ1人500円、15歳未満の方に関しては無料となっています。

なお、指定席の場合は、年齢に関係なく、指定席料金が必要となっています。

阪神競馬場のアクセス

阪神今津線・仁川駅から専用地下道で徒歩5分です。

大阪、神戸方面からは西宮北口駅で今津線に乗り換えとなります。

かつては横断歩道を渡るなどしなければならず、渋滞と交通整理が付きものでしたが、現在は専用地下道が整備されて雨天でも場内まで傘を差さずに向かうことができます。なお、この専用地下道内には競馬開催期間中のみ稼働する阪急電鉄の臨時自動券売機が設置されており、改札口前での混雑を避けてきっぷが購入できます。

阪神競馬開催日は、メインレース終了時から17時頃まで、概ね10分間隔で西宮北口を通過する仁川始発の大阪梅田行き臨時急行(途中塚口・十三駅に停車)が運転されます。また、今津線内(西宮北口-宝塚間)の各駅停車は、通常は10分間隔での運転のところ、16時から17時30分頃までは4〜6分間隔で運転されます。

まとめ

今回の記事では、阪神競馬場について触れていきました。

阪神競馬場は中央競馬が開催されている日だけでなく、開催日以外にも入場することがでます。

競馬を楽しめるだけでなく、レースの合間に仮面ライダーやプリキュアなどのショーやイベントが開催されたり、抽選会などもあるので、競馬に興味があまりないという方やお子様連れの方でも色んな楽しみ方をすることができると思います。

入場料に関しても1人200円と、かなり安く設定されているので、気軽に足を運んでみてはいかがでしょうか。

本間真一郎

1978年12月22日生。東京大学経済学部中退。 某大手商社で役職に就く典型的なエリートでかなりの知的派。その一方で趣味の競馬歴は既に20年を超えており、2021年のエリ女で3連単を的中させたことを未だに友人に自慢している。 好きな馬はもちろんアカイイト。 趣味は車とウイスキー。最近横浜にバーを開店させたオーナーとしての一面もある。 好きな言葉は「明日の百より今日の五十」。

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