キタサンブラックって何?経歴は?種牡馬としての成績や産駒についても解説!
キタサンブラックって?
キタサンブラックは、日本の競走馬兼種牡馬です。
2016年・2017年のJRA賞年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬で、主な勝ち鞍は2015年の菊花賞、2016年・2017年の天皇賞(春)、2016年のジャパンカップ、2017年の大阪杯、天皇賞(秋)、有馬記念です。
獲得賞金は18億7684万3000円はJRA歴代2位。
2020年6月9日、34頭目のJRA顕彰馬に選出されました。
歌手の北島三郎が事実上の馬主であることも注目を浴びました。
今回はそんなキタサンブラックについてご紹介していきたいと思います。
キタサンブラックの経歴
2012年3月10日、北海道沙流群日高町・ヤナガワ牧場にて誕生しました。
父のブラックタイドは、2004年のスプリングステークス優勝馬であり、全弟に2005年のクラシック三冠を含むGI7勝を挙げたディープインパクトを持ちます。
母のシュガーハートは、ヤナガワ牧場の生産馬であり、生まれた時から牧場でも高く評価されていましたが、デビュー前に屈腱炎を発症してみ出走のまま繁殖入りしていました。
同牧場の代表を務める梁川正普は、幼少期のキタサンブラックについて「体つきがよくて、走りも素軽かったですね。いい馬だと思いました。ただ、一歳くらいになると、脚がグンッと伸びたので、そこだけは心配でした。あまりに脚が伸びて体高が高くなると、バランスが悪くなってしまうので。それで、しばらくは不安もあったのですが、結局は大した問題にならず、牧場の期待馬になっていました。勿論、GIを勝てるとまでは思いませんでしたけど(笑)」と述べています。
ヤナガワ牧場とは約半世紀付き合いがあるという北島自身が「顔が二枚目。よく似ている」「目も顔も男前で惚れた」という理由で購買しました。
1歳時の11月12日に新冠町の日高軽種馬共同育成公社に移動して1年間の育成を開始、幼駒時代は細めだった馬体が480㎏にまで成長し、育成公社に来たときは164㎝だった体高が170㎝、183㎝だった胸囲が190㎝までに成長しました。
2歳時の11月16日に栗東トレーニングセンター所属の清水久詞厩舎に入厩し、「調教は疲れないと意味がない」という清水の理念のもとで育てられてから、馬体重がデビュー時には510㎏に成長しました。
競走馬時代
2015年1月31日、第1回東京競馬初日第5競走の東京・3歳新馬戦にて後藤浩輝騎乗でデビュー。
関西馬としては出走メンバー中唯一の出走となりましたが、直線に入って差し切り勝ちを収めました。
その後2月22日の3歳500万下戦から北村宏司が騎乗、このレースは14頭立ての9番人気という低評価の中で挑んだレースだったものの、2番手追走から直線で抜け出して2着のサトノラーゼンに3馬身差をつけて勝利しました。
2着のサトノラーゼンは6番人気で、更に3着には11番人気のグラブザフラッグが入り、3連単は64万円を超える波乱となりました。
3月22日、中山競馬で行われた皐月賞トライアル・スプリングステークスで重賞に初挑戦、前年の朝日杯フューチュリティステークス優勝のダノンプラチナらを退けて3連勝を飾り、皐月賞への優先出走権を得ることになり、父ブラックタイドと共に父子制覇となりました。
陣営ではキタサンブラックは大型馬であり本格化に時間がかかると考えていたことからデビュー時点でクラシック登録をしていませんでしたが、皐月賞の優先出走権を得たことでオーナーの北島の決断により追加登録料200万円を支払い、クラシック戦線に進出することになりました。
4月19日の皐月賞では主戦の北村が騎乗停止のために浜中俊に乗り替わりに乗り替わりとなり、道中2番手追走から直線で一度は先頭に立ちましたが、ドゥラメンテとリアルスティールにかわされての3着となりました。
その後、5月31日の東京優駿に出走、皐月賞同様に2番手追走の競馬をしながら直線で失速して14着に敗れました。
同年秋、キタサンブラックは夏場の休養を挟んでの秋初戦となった9月21日の菊花賞トライアルセントライト記念に出走、馬体の良化の度合いはスローでしたが、レース本番では直線でミュゼエイリアンを退けて1着となり、菊花賞への優先出走権を得ました。
10月25日に行われた菊花賞では2冠馬ドゥラメンテが故障により不在の状況で、5番人気の低い評価ながらミュゼエイリアン、リアルスティールにかわされての3着となりました。
その後、5月31日の東京優駿に出走、皐月賞同様に2番手追走の競馬をしながら直線で失速して14着に敗れました。
同年秋、キタサンブラックは夏場の休養を挟んでの秋となった9月21日の菊花賞トライアル・セントライト記念に出走、馬体の良化の度合いはスローでしたが、レース本番では直線でミュゼエイリアンを退けて1着となり、菊花賞への優先出走権を得ました。
10月25日に行われた菊花賞では二冠馬ドゥラメンテが故障により、不在の状況で、5番人気の低い評価ながらミュゼエイリアン、リアルスティール、リアファルら有力馬との争いの中、リアルスティールの追撃をクビ差で制しGI競走初優勝を果たしました。
これにより大野商事に馬主として初めての中央競馬GI制覇の栄誉をもたらしました。
菊花賞優勝時の馬体重は530㎏であり、これは歴代菊花賞馬中で最も思い記録となりました。
3歳最終戦は12月27日の有馬記念でした。
キタサンブラックはファン投票では3位に支持され、主戦の北村が12月5日に落馬負傷して戦線離脱したため横山典弘を鞍上に迎えました。
4番人気で迎えたレースでは逃げる形となり、最後の直線でゴールドアクターとサウンズオブアースに差されたものの3着に粘りました。
4歳になったキタサンブラックは年内初戦として第60回産経大阪杯に出走し、この競争から主戦騎手が北村宏司から武豊に交代となり、以降武はキタサンブラックが出走するすべてのレースで鞍上を務めることになります。
このレースではハナを奪うと前半1000m61秒1のスローペースで逃げ、最終直線でも粘りを見せて逃げ切りを図るもアンビシャスにゴール寸前で交わされ、クビ差の2着に終わりました。
第153回天皇賞(春)では前年の有馬記念優勝馬・ゴールドアクターに次いで2番人気に推されました。
レースでは先行策を採り、最初の1000メートルを1分1秒強のスローペースに持ち込んでスタミナを温存、最後の直線半ばでは、単勝13番人気の伏兵・カレンミロティックとのゴール争いを繰り広げました。
正面スタンド前で一旦は先頭をクビ差で譲るも内から差し返して、最後は並んでのゴール。
写真判定の末、4cmのハナ差でキタサンブラックが1着となりました。
続く宝塚記念ではドゥラメンテに次ぐ二番人気に推されました。
スタートが切られると道中はハイペースで逃げを打ち、最後の直線でも粘り強く逃げ切ろうと仕掛けましたが、外から猛追してきたマリアライトに交わされ、さらにゴール寸前でドゥラメンテにもハナ差で交わされてしまい3着に敗れました。
秋は京都大賞典から指導、単勝1.8倍の1番人気に推され、逃げを打つヤマカツライデンを見つつ2番手を追走し、残り300m地点付近で先頭に立つと、追い上げてくるラブリーデイ、アドマイヤデウス、サウンズオブアースを封じ込めて勝利しました。
続いてジャパンカップに出走、単勝3.8倍の1番人気に推され、最内枠から好スタートを切ると単騎逃げで最初の1000mを1分1秒後半の天皇賞(春)よりも遅いペースに持ちこみ、向う正面ではこのレース全般を通しても最大差である3馬身程の距離を取り、第3コーナーから直線に入った直後にかけて、後続の馬群に接近されながらも、残り400m地点付近で鞍上の武豊が追い始めると後続を再び引き離し、後方から追い込んでくるサウンズオブアースに2馬身半の着差をつけて勝利しました。
年内最終戦は前年に引き続き有馬記念に出走。
事前のファン投票では13万7353票を集め、2位のサトノダイヤモンドに2万票近い差を付け、1位となりました。
迎えた本番では、最初はキタサンブラックが1番人気となっていましたが、最終オッズではキタサンブラック2.7倍、サトノダイヤモンド2.6倍と僅差で1番人気を譲る形となりました。
レースでは、普段通り逃げ切り策を取るも、今度はマルターズアポジーが大逃げを打つ形となり、キタサンブラックはその後ろにつけました。
最終コーナーでマルターズアポジーを交わし、その時に前位に位置したゴールドアクターとしのぎを削り合うような形で最終直線に入り、最後までしっかりと先頭に立てる手ごたえでしたが、残り100m付近でゴールドアクターの後ろに位置していたサトノダイヤモンドが末脚を炸裂させ、ゴール直前でクビ差で差し切られ2着に惜敗しました。
レース後、鞍上の武豊は「位置取りは想定通りだったが、サトノブレスにつつかれてしまった」と振り返りました。
また事実上の馬主である北島三郎は戦前「勝っても負けても『まつり』を歌う」と宣言しており、敗れはしましたが、約束通り当日の中山全レース終了後のイベントで『まつり』を熱唱しました。
年始からの放牧を経て、年内初戦には前年と同じく本年よりGIに昇格した第61回大阪杯を選択し、単勝2.4倍の1番人気に推されました。
レースではまずまずのスタートを切り、道中は逃げるマルターズアポジーを見る形で2番手から3番手に控え、3コーナーから最終コーナーにかけてスパートをかけると、直線に入る頃にマルターズアポジーを交わして先頭に立ち、その後も詰め寄るステファノスやヤマカツエースを押さえて、2着となったステファノスに3/4馬身差をつけ勝利、GIとなった大阪杯初代王者に輝きました。
大阪杯からひと月足らずで迎えた第155回天皇賞(春)では、連覇を狙うキタサンブラックと有馬記念で敗れたサトノダイヤモンドとの2強対決と目されて2.2倍の一番人気に推されました。
内枠の2枠3番から好スタートを切ると、戦前から大逃げを打つと宣言していたヤマカツライデンを早々に行かせて2周目の1コーナーから向こう正面の途中まで7~8馬身の差を与えるも、2番手で折り合いました。
そのまま自分のスペースで競馬を進めた後、向こう正面から3コーナーにかけて一気に先頭に詰め寄ると4コーナーで先頭に立ち、直線では外から追い縋るシュヴァルグランやサトノダイヤモンドに前を明け渡さず、2着に入ったシュヴァルグランに1.1/4馬身差をつけて勝利、GI5勝目を挙げました。
勝タイムは3分12秒5で、2006年の第133回天皇賞(春)でディープインパクトが記録した3分13秒4のレコード記録を0.9秒塗り替えました。
この勝利によって同レース史上4頭目となる連覇を達成、また、本レースでは1番人気に推された馬は2006年に前述したディープインパクトが勝って以来勝利から遠ざかっていましたが、キタサンブラックの勝利で11年ぶりに1番人気馬が勝利しました。
天皇賞(春)を連覇してからおよそ2ヵ月経ち、迎えた宝塚記念では、ファン投票で春の中中距離GIレース3連勝が期待され、2009年のウォッカ以来8年ぶりとなる10万票以上を集め、2位に2万票以上の差をつけて堂々の1位となりました。
ライバルであるサトノダイヤモンドは凱旋門賞に専念するため回避し、出走頭数も11頭という少頭数となり最終オッズでは単勝1.4倍に支持される一強ムードとなりました。
レースではまずまずのスタートを切り、道中は先行する前2頭を見ながら外目の追走。
4コーナーではシャケトラと共にまくっていきました。
しかし直線に入るとずるずると失速し、最終的には9着での入線となり惨敗という結果に終わりました。
レース後、武豊は「正直よく分からない。こんなの初めてなので残念です。」「難しいですね、競馬は」とコメントを残しました。
そして北島三郎オーナーは、かねてから出走を予定していた凱旋門賞の回避を発表しました。
秋は天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念に出走し、その後引退すると発表されました。
秋初戦の第156回天皇賞ではゲートが開く前に突進してしまい出遅れたものの、他馬が台風22号の接近による降雨のため極度に荒れた馬場を嫌い避けていたインコースを通り、直線手前で先頭に立ちます。
その後で内から馬場の真ん中へ持ち出して走り、サトノクラウンの追走をクビ差抑えて優勝、GI6勝目を挙げました。
天皇賞(秋)連覇は2007年のメイショウサムソン以来、10年ぶり史上5頭目、天皇賞3勝はテイエムオペラオー以来史上2頭目の快挙となりました。
勝ちタイム2分8秒3は距離が短縮された1984年以降で最も遅いタイムとなりました。
また、この勝利で総合獲得賞金を14億9796万1000円とし、ディープインパクトの14億5455万1000円を抜き歴代2位につけました。
続いてジャパンカップに出走。2012年と2013年の優勝馬・ジェンティルドンナ以来史上2頭目の連覇が懸かったジャパンカップでは、サトノダイヤモンドが年内を休養に充てたために出走しなかったこともあり、最終オッズ2.1倍と堂々の支持を得て1番人気に推された。
本番では、好スタートから積極的に逃げを計り、当年のダービー馬レイデオロの先行力を懸念し前年よりはハイペースの逃げになったが、それでも前年とほぼ同じような手応えで直線を迎えます。
だが残り200m付近で何時ものような粘りが無く外から迫るシュヴァルグランに交わされてしまい、さらにゴール直前でキタサンブラックを積極的にマークしていたレイデオロにもかわされ3着に敗れた。鞍上の武はレース中に異変に気付き、レース後、陣営に「落鉄してない?」と尋ね、確認したところ左前脚の蹄鉄を落鉄していたことが判明しました。
武は「これも競馬やね」と落胆の意は示さず、「改めて全部勝つのは厳しいと思ったが、これ程の馬だから、ラストランの有馬記念は是が非でも勝ちたい」、清水調教師は「結果は仕方がない。もう1回脚元を確認して出直します。次は目一杯仕上げます」とコメントしました。
引退レースとなった第62回有馬記念では、最後の雄姿を見届けようと多くの観衆の視線が向けられ、最終オッズ1.9倍の圧倒的な支持を集め、1番人気となります。
レース本番では絶好のスタートを切り、武は見せ鞭を使って積極的にハナを奪うと、最初の1000mを61.6秒のスローペースに持ち込み、いい手応えを掴みました。
向こう正面では後続との差を維持するように逃げ、迎えた最後の直線では後続をさらに突き放すと、好位から懸命に脚を伸ばした、同じくこのレースがラストランとなるクイーンズリング、さらには外から追い上げたシュヴァルグランやスワーヴリチャードらを凌ぎ、2着クイーンズリングに1馬身半差をつけ優勝、有終の美を飾りました。
この勝利で中央競馬GI競走7勝目となり、JRA史上最多タイの記録となりました。
また、通算獲得賞金は18億7684万3000円に達し、テイエムオペラオーを上回って、当時のJRA歴代1位となっていました。
鞍上の武は1990年のオグリキャップ、2006年のディープインパクトに次ぐ3勝目であるが、いずれも同馬の引退レースで勝利したこととなりました。
同日の第12レース終了後にお別れセレモニーが開催され、3歳時の主戦騎手であった北村もセレモニーに参加しました。
このとき、北島三郎がキタサンブラックを称える歌「ありがとう キタサンブラック」(作詞:山田孝雄・原譲二、作曲:原譲二)を初披露。
同楽曲は同日だけでも演歌としては異例の約2000DL 、2018年1月12日時点までに累計約2万5000DLを記録する大ヒットとなっています。
引退後の2018年1月9日に2017年度のJRA賞が発表され、2年連続で年度代表馬に選出されました。
最多に並ぶ2度の受賞は2012年・2014年の受賞馬ジェンティルドンナ以来9頭目、2年連続での受賞は2008年・2009年の受賞馬ウオッカ以来史上7頭目となりました。
キタサンブラックの産駒
キタサンブラック産駒は全般的に「中~長距離が合っている」と言えます。
父自身が豊富なスタミナを武器に長距離で活躍していたので、父の影響が強いとも言えます。
その結果として、活躍馬は牡馬優勢。ラヴェルやコナコーストなど牝馬の重賞級も出ているので牝馬だと能力が低いという訳ではなく、「牡馬のほうが活躍舞台と種牡馬適性がマッチしやすい」という考え方が適切でしょう。
ちなみにダート適性についてはのちほど後述するが、2023年春時点においてはダート適性はあるが、地方競馬ではあまり活躍馬が出ていない点は気になるところです。
キタサンブラックの種牡馬としての評価
馬体に詳しい有識者と話をしていると、「キタサンブラック産駒の馬体はパターン化しにくい」という話を耳にします。
イクイノックスとソールオリエンスも年齢の違いこそあれ、馬体シルエットは異なるし、馬体派には難しい種牡馬と言えるかもしれません。
イクイノックスを見ていると、ダービーや天皇賞(秋)など切れ切れな姿を見せる一方で、ドバイシーマクラシックの逃げ切りのように持続力の強い一面も見せており悩ましいですが、恐らく後者のノーザンテースト色の強い持続力こそ本質でしょう。
イクイノックスの天皇賞(秋)はパンサラッサの大逃げ、そして先日のソールオーリエンスも重馬場で前が速いペースで引っ張ったからこそスタミナが活きたという見解を踏まえると、もしかすると瞬発力が重視されるクラシックよりは古馬混合戦のほうがより力を発揮しそうという仮説も立てられます。
そこに父譲りの晩成傾向と成長力もあるので、息の長い産駒がどんどん増えていくことになるでしょう。
まとめ
今回の記事では、キタサンブラックについてご紹介していきました。
近年はゴールドシップ、ジャスタウェイ、モーリスといった引退から間もない産駒も出走数を増やしており、今回ご紹介したキタサンブラック産駒も注目を集め始めています。
キタサンブラックの産駒についてはまだまだこれからだと思われるので気になった方は是非チェックしてみてください。