東京競馬場へのアクセスや入場、指定席の取り方は?重賞スケジュールや馬場傾向、距離&コース毎のデータ攻略と予想方法
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東京競馬場って?
東京競馬場は東京都府中市にある中央競馬の競馬場で、所在地から府中競馬場と呼ばれることもあります。
競馬ファンの間では単に府中でも通用するようです。
施行、管理をしているのは日本中央競馬会です。
敷地内施設として。JRA競馬博物館や乗馬センターのほか、馬車や水遊び広場やミニ新幹線など、遊園地のような遊具やイベントが行われたりもします。
今回はそんな東京競馬場についてご紹介していこうと思います。
東京競馬場の歴史
東京競馬場の前身は目黒競馬場で、1970年に約65,000坪の敷地面積の目黒競馬場が開設されましたが、その後目黒競馬場周辺の都市化が進み、借地が大部分だった目黒競馬場は借地料の増加に加え、馬券発売による競馬人気で手狭になったにもかかわらず、施設拡張の余地がなかったため、移転を余儀なくされました。
小金井や羽田、世田谷なども移転先の候補地となりましたが、府中町が競馬場誘致活動に力を入れ、地形も良かったことから府中に決定し、1933年11月8日に東京競馬場が開場しました。
10日後の11月18日に東京競馬場での初めての競馬開催を行い、目黒競馬場は完全閉場となりました。
移転した競馬場の総面積は駐車場や道路、厩舎地区を含めて約24万坪と目黒競馬場時代の3倍以上になりました。
本馬場は1周2100m、幅は30mで芝を植え、本馬場内側には練習場を設け、練習馬場には川砂を敷きました。
元々の用地は現在よりもフラットで、現在の競馬場の第3コーナー手前とホームストレッチにある勾配は人為的に作られたものです。
これは競走馬にスピードよりも強靭さを求めた陸軍の意向を取り入れたもので、多摩川向かいの川崎の山土を運び、コースを盛ってアップダウンを設け、芝を植えました。
この山土を取るために南武線沿いにある山も買っています。
目黒にあった各厩舎も競馬場移転に伴い府中に移転しました。
1936年、東京競馬場所属の厩舎は30厩舎でその多くは東京競馬場内の厩舎地区に入りましたが、尾形藤吉厩舎、北郷五郎厩舎は競馬場がいの府中町清水が丘に自前の土地建物を用意しました。
開場時時の東京競馬場のレースは、春・秋の2回開催で各季8日間の開催でした。
手狭だった目黒競走が、1場所8日間の開催で最高で観客8万人余りを集めましたが、移転して広大になった東京競馬場第1回開催では8日間で10万人を超えました。
東京優駿は第3回、1934年から東京競馬場で行われ、開設時の重賞競走としては帝室御賞典や農林省賞典、目黒記念などが行われていました。
1937年の開催が決まっていた東京オリンピックでは、馬事公苑や中山競馬場と共に馬術競技で使用されることとなっていましたが、日中戦争の影響で東京オリンピックの開催そのものが中止となりました。
1943年12月、政府は競馬を中止し、1944年以降は東京・京都でのみ能力検定試験を行う事にしました。
したがってこの年の日本ダービーや農林省賞典4歳四呼馬は馬券を売らず観客は入らない中で、関係者のみが見つめる中前で行われました。
中山競馬場で行われていた重賞レースも東京で行われました。
1944年5月に横浜競馬場閉鎖に伴い、横浜農林省典四歳呼馬が東京競馬場で行われました。
横浜農林省賞典四歳呼馬は1947, 48年も東京で行われ、1949年から中山競馬場に移って皐月賞となりました。
1945年、東京競馬場は陸軍燃料廠に貸与され、東京競馬場は閉鎖されました。
東京競馬場所属馬は一部は京都競馬場や阪神競馬場に送られ、その他は地方で種牡馬になったり運搬車曳馬などに転用されました。
調教師や馬丁などの人員は、一部は京都競馬場や宇都宮競馬場に移転を命じられたり、一部は転業が命じられて曳馬機動隊や馬匹修練場などに配置替えされました。
東京競馬場施設は軍に貸与されましたが、戦時中の食糧難の為に競馬場は全面が畑になり、馬場はサツマイモ畑になっていました。
1946年に東京競馬場は軍から返還され、10月17日から競馬が再開されました。
翌年47年には、それまで阪神競馬場で開催されていた優駿牝馬競走が東京競馬場で開催されました。
1948年、日本競馬会は前年に制定された私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律によって解散されました。
日本競馬会傘下の9か所の競馬場は国営競馬として再開しました。
東京競馬場は農林省管轄下になり、国営競馬東京競馬場となりました。
1974年、東京競馬場の厩舎数や在籍馬数は徐々に増え、この年には馬房を貸し付けられている東京競馬場所属の調教師の人数は38人、馬房数は定期貸し付け馬房と出張馬房の合計で1,098馬房、預託契約頭数はサラ系が1,005頭、アラブ系が31頭の合計1,036頭。東京競馬場の総馬房数1,098に対し40馬房貸し付けられている調教師が3人いるのに対し10馬房しか貸付されていない調教師もいるなど厩舎ごとの規模の差は現在よりもかなり大きかったです。
この年までに栗東トレーニングセンターはすでに開業していましたが、美浦トレーニングセンターに関しては造成中でした。
1978年 3 – 4月、東京競馬場内にあった厩舎は新設になった美浦トレーニングセンターに移動し、調教師や厩務員なども移転しました。
それまで東京競馬場には1111の馬房があったが、東京競馬場所属馬はすべて美浦に移動。1982年には東京競馬場の馬房の数は397に減り、それらは出張馬房や国際馬房として使われました。
1981年にジャパンカップ創設され、2002年を例外として東京競馬場で開催されました。
昭和の終りから平成の初めにかけて、武豊やオグリキャップなどの人気による空前の競馬ブームが起こり、1990年5月27日の第57回東京優駿(日本ダービー)当日には史上最高の入場者19万6517人を集めた。
2000年に東京競馬場スタンド改築等施設整備計画を発表し、3期に分けての改築を行うことになった。2002年(平成14年)6月の第4回東京競馬終了後、馬場改修工事と2期スタンド工事に本格的に着手、その年の秋競馬は中山競馬場や新潟競馬場で代替開催された。1期スタンドはその年の10月に完成し、翌11月からパークウインズとして利用開始。その後馬場改修工事も終わり、2003年4月26日にリニューアルオープンした。
2005年4月に完成したスタンド改修工事・第2期分では、パドックとレーストラックをつなぐ地下馬道が1階座席からガラス越しに見ることができるようになりました。
2007年4月にはスタンド改修工事・第3期分が終了し、新スタンドが全面完成となりました。
新スタンドの名称は公募により決定し、富士山を眺望できるスタンドであることから「フジビュースタンド」と命名されました。
また、このフジビュースタンド完成を記念し、2007年の2回・3回の東京競馬では東京競馬場グランドオープンと銘打って、引退騎手によるエキシビションレース「ジーョッキマスターズ」をはじめ様々なイベントが行われました。
2020年の第2・3回開催全日は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため「無観客競馬」として開催されました。この中には第87回日本ダービーも含まれており、太平洋戦争の影響により「能力検定競走」の名の下で馬券の発売もなく施行され、1944年以来76年ぶりに無観客での日本ダービー開催となりました。
2021年の第1回開催全日、第2回開催2~6日は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため「無観客競馬」として開催されました。
東京優駿は、第1・2回を目黒で開催以後、原則として東京競馬場のみで行われており、上記の大規模な改修・改築、馬場の拡張などを伴う大規模な工事が行われた場合でも、開催時期を調整したり、また東京優駿が行われる節の工事を極力控えるように日程調整を行っています。
東京競馬場のコースの特徴
芝コースの1周距離は2083m、直線の長さが525mと、新潟競馬場と阪神競馬場に次ぐ広さとなっており、幅員も最大41mと非常に広いため、開催によりAコースからDコースまで設定が可能となっています。
コーナーも大きく、起伏も適度にあり最後の直線には坂もあるなど、まさに王道的な作りになっています。
日本ダービーやジャパンカップなど日本のチャンピオンを決めるコースとなっており、名実ともに日本代表するコースの一つで、非常に紛れが少ないコースです。
ダートコースは1周距離が1899mで直線の長さが501mとこちらはJRAのコースで一番大きいコースとなっています。
東京競馬場のレース傾向
東京競馬場 芝1400m
内枠・逃げ>先行>外枠・中団以下。
何年やっても、馬場改修をしても、先行型有利の基本は変わりません。
道悪の場合で調べても、来る血統がダート寄りにシフトするくらいで、重賞の時だけ、展開の読みが必要になるくらいと決め打ちしていいでしょう。
東京競馬場 芝1600m
名伯楽が管理する良血馬を買うコースです。
ここ数年をとっても、多く勝ち鞍を挙げた順に厩舎名を書き連ねると、藤沢和、堀、国枝といった錚々たる面々が上位を占め、関西では矢作厩舎がトップです。
回収率も比例しているため、無難に人気馬を買うコースです。
東京競馬場 芝1800m
ディープ天国でも人気になるので妙味はなし!
毎日王冠3勝、共同通信杯も同じ数、出世レースの東京スポーツ杯も3頭が制して全てがダービー馬になったという適性の度合いです。
他コースでもこの距離は得意なので、それを逆手に取った穴狙いの判断基準として使いたいファクターです。
東京競馬場 芝2000m
この距離で強かった馬の仔が穴をあけるでしょう。
昔から驚きの結末を演出してきた「特殊な2コーナー」を関門に持つコースですが、秋の天皇賞で2着に止まったステイゴールドとスクリーンヒーローが勝率で、主要種牡馬の次に入っているので、オルフェーヴルやヴィクトワールピサら、2000Mで安定した成績を残していた馬の仔にも注目したいところです。
東京競馬場 芝2400m
3~4コーナーでロスなく立ち回れる内枠、先行型有利です。
G1以外では、ただの長距離カテゴリーのレースとなるので、ロスの少ない内枠、余程の多雨に見舞われない限りは、内でじっと仕掛けのタイミングを待った方がいいというコーナー4つの競馬の基本的な特性が出ています。
また、2300m戦も年3鞍行われています。
東京競馬場 芝2500m・ 芝3400m
ディープが消えて、春天好走馬を出している種牡馬が台頭しています。
この2つの距離は、坂を2度上るため、別カテゴリーに属するということで、最近は重賞レースしかないためディープインパクト産駒の出番はないでしょう。
サンデー系でも特殊なポジションを形成するハーツクライ<母父トニービン>、ステイゴールド<後継種牡馬も注目>らの産駒からを有力馬を押さえましょう。
東京競馬場 ダート1300m
好発を決めた先行型のためのコースです。
約20年ほど前の大改修の際、これまであった1200に代わって誕生した1300Mコースは、ほとんど同じ距離の1400Mと比べても、明らかに先行有利で、道悪になって差しが決まることはまずありません。
2割近くの逃げ切りがあるというのは、直線の長さからも異常と言えます。
東京競馬場 ダート1400m
とりあえず条件戦は、伊藤圭三厩舎の馬からでしょう。
近年の傾向ではなく、長いスパンで見ても、ダートの短距離戦で伊藤圭三厩舎は出走頭数そのものが多く、他の倍というイメージです。
加えて、成績もほぼ全てで最上位です。
数打ちゃ当たるではなく、適鞍で実力を発揮する管理馬が満遍なく登場している感じでしょうか。
東京競馬場 ダート1600m
外枠からじんわりいいポジションを取れる馬以外にはフラットな条件となっています。
特殊な芝スタートのチャンピオンコースですが、ゴールドアリュール産駒、ルメール騎手、加藤征弘厩舎といった、名のある面々が力を発揮しているという傾向と、そのいずれもが様々な脚質での実績があることから、実力を試すのに最も適した舞台とできます。
8枠が突出していい結果ではない点も、その一端でしょう。
東京競馬場 ダート2100m・ダート2400m
追い込み一辺倒ではない関西馬を買いたいです。
芝とは違って、ズブい馬の最終目的地でもあるため、序盤前に行けないと苦しいタイプが多いからこそ、内枠だと不発が多い傾向は、頭数に関係なくあるので、これに適鞍を求めて登場の関西馬を絡めたいところです。
東京競馬場で開催されるG1レースを紹介
中央競馬において最も注目度の高いG1レースな中でも主に東京競馬場で開催されるものを紹介していきたいと思います。
フェブラリーステークス
JRAが施行するダート重賞競走では最も古い歴史を持つ競走です。
1984年に前身となる「フェブラリーハンデキャップ」が創設され、東京競馬場のダート1600mで施行され、当初はGIIIの格付けでした。
1994年にGIIへ昇格するとともに負担重量も別定に変更され、名称も「フェブラリーステークス」に改称されました。
その後、中央競馬と地方競馬の交流競走が拡大されるなか、1997年には中央競馬のダート重賞競走として初めてG1に格付けされ、負担重量も定量に変更、国内の上半期のダート最強馬決定戦に位置付けられました。
2007年からは国際競争に指定され、外国馬の出走も可能になりました。
2016年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には該当年のブリーダーズカップ・クラシックへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与されます。
本競走で上位を争った馬からは、アラブ首長国連邦のドバイで行われる国際招待競走である「ドバイミーティング」へ遠征するものも出るようになりました。
2011年の優勝馬トランセンドは、ドバイワールドカップで優勝したヴィクトワールピサと接戦の末、2着に入っています。
また、1999年にはメイセイオペラが地方競馬所属馬として初めて優勝しました。
NHKマイルカップ
1953年から1995年まで東京優駿のトライアル競走として施行されていた「NHK杯」を前身としています。
当時はクラシック競争に出走できなかった外国産馬や短距離適性のある馬に目標となる大レースを4歳春季に創設しようという気運が高まり、1996年に春の4歳マイル王決定戦として新設されました。
それゆえ、創設時は「マル外ダービー」といわれたこともあります。
創設当初より、外国産馬が出走可能なほか、指定交流競走として所定の条件を満たした地方競馬所属馬も出走が可能になっています。
2009年より国際競争となり、外国馬も出走可能になりました。
NHK交響楽団のメンバーが、発走前のファンファーレを生演奏するのが恒例となっています。
また、過去のダービートライアルとしてのNHK杯からの名残で八大競走のうち牝馬三冠・天皇賞・有馬記念などと同格扱いで、NHK総合テレビジョンから生中継されています。
ヴィクトリアマイル
競走馬生産の原点である牝馬は従来、早期に引退させて生産界へ戻すべきと考えられており、古厩牝馬にとって目標となる競走も長らく設けられていませんでした。
その後1996年にエリザベス女王杯が条件変更され、4歳以上牝馬のG1競走として行われるようになってからは、牝馬重賞競走の増設やローテーションの整備など競馬番組の充実が図られるようになり、競走馬として長く活躍する牝馬が多くなりました。
一方、こうして長く現役として活躍した牝馬からも優秀な産駒が誕生するようになったことにより、生産界の考え方にも変化が生じてきたほか、ヨーロッパでも競走馬としての牝馬の価値を重視する傾向が強まってきました。
こうした流れの中、2006年に4歳以上牝馬による春季のチャンピオン決定戦として本競走が新設されました。
なお、本競走の創設に関してJRA内では「内国産競走馬のレベル向上のため、強豪牝馬は早く引退して繁殖牝馬になるべき。レースに出ては故障してしまう」という反対意見もありました。
創設時より国際競争として外国馬が出走可能で、ステップ競走で所定の成績を収めた地方競馬所属馬も出走が可能になっています。
2017年より本競走の1~3着馬には当該年に行われるジャック・ル・マロワ賞への優先出走権が付与されることになりました。
2018年より安田記念とともにデスティナシオンフランスの名称でジャック・ル・マロワ賞と連携し、2021年からムーラン・ド・ロンシャン賞も対象競走に追加され、上位3頭に優先出走権が付与されます。
2020年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には当該年のブリーダーズカップ・フィリー&メアターフへの優先出走権と出走登録料・郵送費用の一部負担の特権が付与されます。
優駿牝馬(オークス)
1938年にイギリスのオークスステークスを範として、4歳牝馬限定の「阪神優駿牝馬」を阪神競馬場に創設されました。
横浜農林賞典四歳呼馬・東京優駿・京都農林省賞典四歳呼馬・中山四歳牝馬特別とともに日本のクラシック競争の一つとされています。
距離は創設当初芝2700mでしたが、1940年から1942年まで芝2450mで施行した後、1943年から芝2400mに変更されています。
施行場も1946年から東京競馬場に変更され、この際に名称を「優駿牝馬」に改称されました。
施行時期は1952年まで秋季でしたが、1953年から春季に変更され、1965年からオークスの副称がつけられました。
1984年よりグレード制が施行され、G1に格付けされ、1995年から地方競馬所属馬が、2003年からは外国産馬がそれぞれ出走可能になり、2010年からは外国馬も出走可能な国際競争となりました。
2018年から2020年までは本競走の1~3着の馬には当該年に行われるヴェルメイユ賞への優先出走権が与えられていました。
同年よりヴィクトリアマイル・安田記念と共にディスティナシオンフランスの名称で提携していましたが、2021年より対象競走から外されました。
東京優駿(日本ダービー)
1932年にイギリスの「ダービーステークス」を範として、目黒競馬場に手創設されました。
後に創設された皐月賞・菊花賞と共に「三冠競走」を構成します。
4歳牝馬による桜花賞・優駿牝馬を含め、「クラシック競争」とも総称されます。
第3回より施行場を現・東京競馬場に変更したほかは、開催地・距離ともに変更されておらず、三冠競走の一冠目にあたる皐月賞が中山競馬場での開催に定着後も東京競馬場で大体開催等により開催地が変更されたことは一度もありません。
本競走を優勝することは、日本の競馬に関わる全ての関係者が憧れる最高の栄誉の一つとなっています。
一般的には副称の「日本ダービー」が知られています。
この「ダービー」は1780年にイギリスでダービーステークスを創設した台12代ダービー卿のエドワード・スミス・スタンレーに由来し、現在は「競馬の祭典」として競馬ファン以外にも広く知れ渡っています。
1973年までは日本国内の最高賞金競走でした。
その後はジャパンカップ・有馬記念に次ぐ賞金額となりました。
なお、2014年度からは「ダービー馬連」と題して、当競争を含む当該週の中央競馬開催前競走を対象に、馬番連勝複式の勝ち馬投票券の5%相当額を、払戻金に還元するキャンペーンを行っていましたが、2022年からはワイドに変更されています。
安田記念
中央競馬における上半期のマイル王決定戦として位置づけられているG1競走です。
1951年に、「安田賞」の名称で創設されました。
メイショウの由来となった安田伊左衛門が1958年に死去したため、同年より現名称に改称されました。
創設当初は東京競馬場の芝1600mで4歳以上の馬によるハンデキャップ競走として施行されましたが、1984年にグレード制が導入されG1に格付けされ、施行時期も優駿牝馬の前に移され5歳以上の馬による定量戦に変更されました。
1996年からは東京優駿の翌週に移設のうえ、競争条件も4歳以上に変更され、現在に至ります。
2005年から2011年までは「アジアマイルチャレンジ」の対象レースとして施行されました。
外国産馬は1984年から、外国馬は1993年からそれぞれ出走可能になったほか、1995年からは地方競馬所属馬も出走可能になりました。
2016年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には当該年のブリーダーズカップ・マイルへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与されます。
2017年より、本競走の1~3着馬には当該年に行われるジャック・ル・マロワ賞への優先出走権が付与されることになりました。
2018年よりヴィクトリアマイルと共にデスティナシオンフランスの名称でジャック・ル・マロワ賞と提携、2021年よりムーラン・ド・ロンシャン賞も対象競走に追加され、上位3位に優先出走権が付与されました。
天皇賞(秋)
3歳以上の馬による重賞競走で、施行距離が1938年から1983年まで春と同様に芝3200mで、1984年から芝2000mに短縮されました。
距離変更には賛否両論ありましたが、短縮後は中距離の最強馬決定戦として位置づけられました。
施行時期も長年11月下旬で定着していましたが、1981年より10月下旬~11月初旬の期間に繰り上げられました。
2000年からジャパンカップ・有馬記念とともに「秋の古馬三冠競走」とされ、同一年に行われる3競走を全て優勝した馬に褒賞金が送られるようになりました。
正式名称は「天皇賞」ですが、JRAでは施行距離が短縮された1984年以降「天皇賞(秋)」と表記されています。
ジャパンカップ
1981年に創設された国際招待競走で、日本初の国際GⅠ競争でもあります。
また、国際競争であるため、JRAの厩舎関係者表彰においては、最優秀騎手賞と最優秀調教師賞の資格を得るにあたり「1着を取らねばならない競走」の一つに指定され、いわゆる「八大競走」と同格の扱いを受けていました。
かつては中山グランドジャンプとジャパンカップダートも国際招待競走になっていましたが、中山グランドジャンプは2011年より、ジャパンカップダートは2014年よりチャンピオンズカップに改称のうえ、いずれもJRAが馬や関係者の諸費用を負担しない国際競争となっています。
本競走は2014年にスイス発祥の世界大手時計メーカー・ロンジンとパートナーシップを締結し、公式時計もロンジンがサポートしており、2022年現在の正式名称は「ジャパン・オータムインターナショナルロンジン賞 ジャパンカップ」となっています。
なお、ジャパンカップダートとの同日開催となった2004年以後、平年の第5回中山競馬場相当分が代替されない限り、ジャパンカップが東京競馬場の年内最終競走となっています。
東京競馬場の入場方法
東京競馬場へは、以下の方法で入場することができます。
- 「指定席ネット予約」を利用し、事前予約の上入場する
- 「入場券ネット予約」を利用し、事前予約の上入場する
- 東京競馬場に来場した後、「入場券の当日現金発売」や「JRA競馬場共通入場回数券」を利用して入場する
ネット予約に関しては指定の予約サイトにて新規会員登録が必要となっています。
入場券の当日現金発売に関しては、G1レース日を含め、全ての開催日で行っており、事前予約なしで入場することができます。
入場料金に関しては、1人200円で、フェブラリーステークス当日のみ1人500円、15歳未満の方に関しては無料となっています。
なお、指定席の場合は、年齢に関係なく、指定席料金が必要となっています。
東京競馬場のアクセス
最寄り駅は京王電鉄の競馬場線・府中競馬正門前駅で、専用歩道が用意されています。
東京競馬開催時は競馬場線の増発と京王線と接続する東府中駅に特急が臨時停車するほか、府中競馬正門前駅から新線新宿駅行き臨時急行と京王線新宿駅行き臨時特急が運行されます。
京王線では府中駅や東府中駅から新線新宿駅行き臨時急行と京王線新宿駅行き臨時特急が運行されます。
京王線では府中駅や東府中駅よりアクセスする人もい多いです。
また、少し離れた東日本旅客鉄道南武線・武蔵野線の府中本町駅からも専用歩道が用意されています。
東京競馬場開催時は南武線の川崎方面行き、武蔵野線の東所沢・南越谷行きの電車が増発されます。
かなり離れているものの南門には西武多摩川線の是正駅からもアクセス可能です。
・京王線府中競馬正門前駅から徒歩約3分
・京王線府中駅から徒歩約15分
・京王線東府中駅から徒歩約11分
・JR府中本町駅から徒歩約6分
・JR南多摩駅から徒歩約22分
・西武多摩川線是政駅から徒歩約11分
1973年4月1日までは、競馬場西側に中央本線の支線、通称「下河原線」の東京競馬場前駅があり、かつてはこの駅が国鉄で最も長い駅名でした。
中央高速バス、中央道府中バス停からもアクセスが可能です。
主に山梨県郡内・上野原方面の利用客が多いです。
光速バス停からは南門が至近で、中央自動車道北側沿いに八王子方面へ歩いて1㎞ほどで南門につきます。
まとめ
今回の記事では、東京競馬場について触れていきました。
東京競馬場は中央競馬が開催されている日だけでなく、開催日以外にも入場することがでます。
競馬を楽しめるだけでなく、噴水のある公園や乗馬体験ができる施設であったり、飲食店なども沢山ある為、まるで遊園地のような感覚で競馬に興味があまりないという方やお子様連れの方でも色んな楽しみ方をすることができると思います。
入場料に関しても1人200円と、かなり安く設定されているので、気軽に足を運んでみてはいかがでしょうか。